仕事でもプライベートでも、
「自分はそんなつもりじゃないのに」
と思うことがあります。
頑張っているつもりなのに評価されない。
良かれと思ってやったのに伝わらない。
自分ではできていると思っていたのに、周囲の評価は違っていた。
そんな経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
養老孟司氏の『超バカの壁』を読んでいて、この問題について考えさせられる一節がありました。
人は自分について誤解されるとつい素朴に反応して腹を立てたりするものです。でも怒る前に、世間は自分のことをこう見ているのかもしれないというふうに思うべきです。
かなり耳の痛い言葉です。
しかし同時に、とても現実的な考え方でもあると思いました。
自分が見ている自分と、他人が見ている自分は違う
私たちは自分の考えていることを知っています。
努力していることも知っています。
失敗した理由も知っています。
つまり、自分の評価には大量の内部情報が含まれています。
一方、他人は結果しか見えません。
どれだけ努力したか。
どれだけ悩んだか。
どれだけ勉強したか。
そういった過程の多くは見えません。
だから自己評価と他者評価が一致することはほとんどありません。
むしろ一致しないのが普通なのだと思います。
ブログ運営でも同じだった
ブログを書いていると、まさに同じことが起こります。
一生懸命調べて書いた記事がある。
何時間もかけてまとめた記事がある。
しかし読者はその過程を知りません。
見るのは完成した記事だけです。
書いた本人としては傑作だと思っていても、アクセスが集まらないことがあります。
逆に、あまり力を入れずに書いた記事の方が読まれることもあります。
そのたびに、
「なんで分かってもらえないんだ」
と思いたくなります。
しかし読者から見れば、それが評価なのです。
努力量ではなく結果で判断される。
それはある意味では当然のことなのかもしれません。
仕事でも評価は思い通りにならない
仕事でも似たような経験があります。
自分では頑張っているつもりだった。
しかし周囲から見るとそう見えていなかった。
逆に、
普通にやった仕事が思った以上に評価されたこともあります。
結局のところ、
自分がどんな人間だと思っているかより、
周囲がどう見ているかの方が社会的な評価になります。
これは厳しい現実ですが、避けて通れません。
評価に納得できないこともある
もちろん、世間の評価が常に正しいとは思いません。
誤解もあります。
偏見もあります。
運もあります。
理不尽な評価もあるでしょう。
しかし、そこで怒ったところで評価が変わるわけではありません。
養老氏が言いたいのは、
評価を無条件に受け入れろということではなく、
まず事実として認識しろということなのだと思います。
自分ではそう思っていなくても、
世間はそう見ている。
その事実からスタートしなければ改善もできません。
最近の自分にも当てはまる
最近、ブログへの熱量が下がっています。
以前ほど記事を書こうという気持ちになれません。
その理由を考えていました。
しかし今回この言葉を読んで、
もしかすると私は
「自分がやりたいこと」
ばかり見ていたのかもしれないと思いました。
読者が何を求めているのか。
世間が何に価値を感じているのか。
そういった視点が弱くなっていたのかもしれません。
自分視点だけでは見えないものがある。
この言葉は、そのことを思い出させてくれました。
読者ならどう活かせるか
もし今、
自分の評価に納得できないなら、
感情的に反発する前に一度だけ立ち止まってみるのも良いかもしれません。
なぜその評価になったのか。
周囲は何を見てそう判断したのか。
そこに改善のヒントが隠れていることがあります。
そして逆に、高すぎる評価を受けたときも同じです。
自分では意識していない強みを、周囲が評価してくれている可能性があります。
養老孟司氏の言葉を読んで感じたのは、
自己評価と他者評価が一致しないのは異常ではなく正常だということです。
だからこそ、
「なんで分かってくれないんだ」
ではなく、
「世間はそう見ているのかもしれない」
と考える余裕を持つことが大切なのではないでしょうか。
人間は自分を一番よく知っているようでいて、実は一番客観視できていない存在なのかもしれません。