転職やキャリアの話になると、「自分に合った仕事を見つけよう」という言葉をよく耳にします。

 好きなことを仕事にしよう。適職を探そう。本当にやりたいことを見つけよう。

 たしかに魅力的な考え方です。しかし、養老孟司氏の『超バカの壁』を読んでいて、この考え方そのものに疑問を投げかける一節に出会いました。

 それが、

 という内容です。

 かなり強烈な表現ですが、読み進めるうちに「確かにそうかもしれない」と思わされました。

「自分に合った仕事」を探すという考え方

 現代では、自分探しという言葉が当たり前になりました。

 自分は何が好きなのか。

 自分は何に向いているのか。

 自分に合う仕事は何なのか。

 しかし、この考え方には一つの前提があります。

 どこかに自分にぴったり合う仕事が存在するはずだ、という前提です。

 もしそうなら、仕事選びは宝探しになります。

 まだ見つかっていないだけで、自分にぴったりの仕事がどこかに眠っているはずだ。

 だから今の仕事が面白くなくても、もっと良い仕事があるかもしれない。

 そう考えるようになります。

 しかし養老氏は、それ自体が間違っているのではないかと問いかけています。

仕事は社会の需要から生まれる

 仕事というのは、まず社会に必要なものが存在します。

 電気を供給する人が必要。

 機械を設計する人が必要。

 道路を整備する人が必要。

 商品を運ぶ人が必要。

 つまり仕事は、自分のために存在しているわけではありません。

 社会の中に発生した需要を満たすために存在しています。

 需要がなければ仕事は成立しません。

 極端な話をすると、自分がどれだけ好きでも、誰にも必要とされなければ職業としては成り立たないのです。

 そう考えると、「自分に合った仕事を探す」という発想よりも、「社会が必要としている仕事にどう適応するか」という発想のほうが自然なのかもしれません。

振り返ると、自分もそうだった

 私はもともと電気系の専門教育を受けていたわけではありません。

 むしろ電気は専門外でした。

 電子工作に興味を持ち、独学で勉強し、本を読み、回路を組み、少しずつ知識を身につけていきました。

 その結果として、現在は装置の電気設計や制御開発に関わる仕事をしています。

 しかし振り返ってみると、

 「私は電気設計に向いている」

 と思ったことはありません。

 最初から適職だと確信していたわけでもありません。

 興味を持った。

 学んだ。

 続けた。

 経験を積んだ。

 評価された。

 そして今がある。

 そんな流れだったように思います。

 だから私の実感としては、

 適職だったから続いたのではなく、続けたから適職になった

 という表現のほうがしっくりきます。

適職を探すより、まずやってみる

 適職探しには終わりがありません。

 今の仕事が違う気がする。

 もっと向いている仕事がある気がする。

 もっと自分らしい働き方がある気がする。

 そう考え始めると、いつまでも答えが出なくなります。

 一方で、何かを始めて続けることには終わりがあります。

 経験が蓄積されます。

 スキルが身につきます。

 実績ができます。

 そして周囲から評価されるようになります。

 そうなると、最初は向いていると思っていなかった仕事でも、徐々に自分の居場所になっていきます。

 少なくとも私自身は、そのパターンでした。

好きなことを否定する必要はない

 もちろん、だからといって好きなことを追うなという話ではありません。

 読書もそうです。

 ブログもそうです。

 趣味もそうです。

 興味を持ったことを試してみるのは大切です。

 ただ、その好きなことがすぐ仕事になるとは限りません。

 むしろ、趣味として続けていたことが結果的に仕事になるケースのほうが多いように思います。

 電子工作もそうでした。

 ブログもそうでした。

 最初から仕事として始めたわけではなく、気付いたら価値が生まれていたのです。

読者ならどう活かせるか

 もし今、

 「自分に向いている仕事がわからない」

 「転職したほうがいいのだろうか」

 「適職が見つからない」

 と悩んでいるなら、

 「自分に合った仕事は何か?」

 という問いを、

 「自分は何に適応できそうか?」

 という問いに変えてみると、新しい視点が得られるかもしれません。

 適職は探して見つかるものではなく、続けた結果として見えてくることもあります。

 養老孟司氏のこの一節は、自分探しに疲れた人に対して、

 「そんなに焦らなくてもいい」

 と言ってくれているように感じました。

 私自身、独学で技術を学びながら今の仕事にたどり着いた経験があるからこそ、この言葉には妙な説得力を感じています。